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地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 36.松並〜野木(説明

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第九次古河宿〜第十次野木宿  35.古河〜松並  36.松並〜野木宿  ⇒野木宿〜間々田宿へ

松並から野木宿まで
右に、のなか美容室、セブンイレブンを過ぎ、左に結婚式場「カナルハウス」があり、その前にYショップの小橋商店の先の路地を入っていくと塩滑地蔵がある。体の悪い場所に塩を塗ると治るといわれている。小橋商店からさらに進むと大きく右カーブし、昔は左筑波といって、左に筑波山か見えたという。左に鳥居があり、ここを入っていくと雷電神社、松尾芭蕉の句碑がある野木神社がある。さらに日光街道を進むと2分ほどで逆Y字路で、右から来る道が、栗橋宿から利根川大橋を渡った中田宿のところで分かれた国道4号線。合流点に野木宿の江戸側入口があり木戸があった。こゝに松並木の案内板が建っている。歩道橋を過ぎ東洋精工の所に東京から64qの標柱がある。須田輪業の左先に野木本陣跡、問屋場跡があり、さらに右に脇本陣跡、信号の左に十九夜塔のある満願寺がある。次の信号の左を入っていくと、妙福辨財天があり、信号を渡った民家の垣根の中に野木の一里塚の案内板がある。さらに進むと左に浄妙寺があり、この先から新野木となる。
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古河宿から野木宿 松並(茨城県古河市)〜野木宿(栃木県野木町) 1750m 22分

野木宿(のぎじゅく)
 江戸時代に日光街道(日光道中)に設けられた下野国の宿場。現在の栃木県下都賀郡野木町。日光街道の江戸・日本橋から数えて10番目の宿場である。
 古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。本野木と新野木からなる。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、野木宿は距離25町、宿高286.227、町並10町55間、人数527人(男271人、女256人)、家数126軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒(大0,中2,小23)、問屋場4軒、宿建人馬25人258疋であった。
 隣接する宿場と比較すると規模が小さく、古河宿・間々田宿・小山宿に宿泊客は流れがちであった。Wikipediaより

宿高(しゅくだか)とは 農作物などを米の取れ高に換算して、村や町宿場の規模を表示したものです。単位は石・斗・升・合・勺(しゃく)で、1石は10斗、、1斗は10升、1升は10合となります。1合は10勺となります。1升は約1.8?(一升瓶1本分)で、1石は一升瓶100本分の量となります。なお、1俵はおおよそ3斗5升のお米を入れました。

町(ちょう)と間(けん)とは 町と間は、長さを測るときの単位のことです。1町は約109.09mとなります。1町は60間です。1間は6尺(しゃく)で、約1.82mになります。なお、町・間・尺は時代によっても少しずつ長さが異なりました。

本陣・脇本陣・旅籠とは いずれも旅館です。本陣・脇本陣は、参勤交代の大名や勅使・公卿といった貴人が宿泊しました。本陣が利用できないときには、かわりに脇本陣が利用されました。一般旅人が宿泊する旅籠があります。旅籠は、食事つきの宿泊施設です。

問屋場(とんやば)とは 問屋(といや・とんや)ともいい、次の宿場まで乗り継ぐ人足や馬を用意したり、公用の出張者の旅館手配など、宿場業務を取り扱う施設のことをいいます。

宿建人馬(しゅくだてじんば)とは 参勤大名や役人などが通行するときに、宿場で用意する人足(にんそく)
と馬の最大数のことです。足りない分は助郷(すけごう)として、周辺の村々から調達しました。本来50人50疋を割り当てられていましたが、文化5年(1808)に35人35疋に変更されました。

野木神社
 仁徳天皇の御代、莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祀ったことに始まるとされる。坂上田村麻呂が奉納したとされる大銀杏の木があり、お乳の形に似ていることから乳の出ない母親に信仰された。寿永2年(1183年)には野木宮合戦の舞台となり、江戸時代には古河藩主の崇敬を受けた。現在も、12月には古河市と野木町個々に「提灯竿揉み祭り」が行われるが、これはどちらも野木神社の神事「七郷めぐり」に付随するもので、神官行列の帰社(お帰り)を待つ人々が、寒さをしのぐために始めた提灯の揉み合いが起源である。Wikipediaより

満福寺
 古河公方ゆかりの寺院。明応2年(1493年)、足利成氏により開基。成氏の墓、連歌師・猪苗代兼載の墓がある。野木町内の野渡にある。Wikipediaより

澄む郷の村々
 各宿場町では、参勤交代や公用の人や物を運ぶために人馬を常備する必要があったが、これを助けるために近隣の村々が定助郷に指定された。野木宿の場合は、現野木町内の友沼・閏島・若林・丸林・佐川野・赤塚・中谷新田・野渡、現小山市内の迫間田・新波・生井新田・楢木・上生井・下生井・白鳥・飯田新田、現栃木市藤岡地域内の赤麻・鎌立・篠山・西高砂・高砂・横堤・内野・恵下野・下宮である(うち鎌立?下宮の村々は現在の渡良瀬遊水地内)。Wikipediaより

算額
 指定年月日 昭和57年1月13日 所在地 野木町大字野木2404番地
 この算額は、明治22年に間々田在住の最上流の和算学者根岸林左エ衞門安章の門下生で野木在住の野鳥勝次正行の○塩滑地蔵
○芭蕉句碑
○野木松並木
○野木神社

町指定文化財
 公孫樹(おおいちょう)
 指定月日 昭和52年11月30日 所在地 野木町大字野木2404番地
 この大イチョウは、今から約1200年前(平安時代延暦年間)に征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐に成功し、凱旋の途中、野木神社に参りその功を奏でました。
 その奉寶として、神社を笠懸野台手函(現在の野渡大手箱)から現在の「身隠の森」に移築し、記念にイチョウの木を奉植したものと伝えられています。
 この大イチョウには、婦人たちが乳が出て乳児が健全に育つように米ぬかと白布で作った模型の乳房で祈願する民間信仰があります。 昭和57年3月 野木町教育委員会

町指定文化財
 黒馬繋馬図絵馬
 指定年月日 昭和57年1月13日 所在地 野木町大字野木2404番地
 野木神社に奉納されている「黒馬繋馬図」の大絵馬は、江戸画壇の大家と称されてる谷文晁いわれています。
 絵馬は人間が神に祈願する時に馬の絵を描いて奉納したことからはじまるといわれる民間信仰上の呪術的奉納品です。
 これほど大型の絵馬は本町には例がないと同時に描かれている馬も実にすばらしく、伝承によれば東京浅草・浅草寺の「白馬繋馬図」の大絵馬と一対をなすといわれています。(絵馬図あり)

町指定文化財
手により野木神社に奉納されたものです。
 算額は、日本に古くから発達した数学である和算の問題と解答を額にして神社仏閣に奉納したもので、本町においては現存する唯一のものであり、栃木県の和算研究史資料としても価値高いものがあるといわれています。 
 この本算額は、幾何学の範疇に入る円の直径と正方形の辺の長さを算出させる問題と解答であり、当寺の和算のすばらしさを現代に示してくれる有力な資料となっています。(算額現代語訳の解説あり)
 昭和57年3月 野木町教育委員会

日光道中 野木宿周辺の松並木
 日光道中今市宿を合流点に、日光道中、例幣使街道、会津南山通り(西街道)の両側には杉並木が植えられている。この杉並木は、武蔵国川越城主の松平正綱が、寛永2〜3年(1625〜6)から約20年の歳月をかけて植えつけ、杉並木を寄進したものである。
 日光道中野木周辺では、杉並木ではなく、松並木が続いていた(「増補行程記」盛岡市中央公民館蔵)。この松並木は、元和8年(1622)古河藩主永井右近大夫直勝が、中田より小山までの街道に、松を植えたといわれている(「下総国古河城主代々記」田波忠昭家文書)。またその子尚政が寛永期に植えたともいわれている(「小山市立博物館紀要3号」)。元和から寛永期(1615〜43)までには松並木ができたということになる。
 弘化2年(1845)、山形藩主秋元志朝は上野国館林へ国替えとなり、家臣山田喜太夫は妻音羽(とわ50歳)とともに移動することになった。音羽は、間々田より友沼に向かう付近で、松並木をとおる一行の絵と歌を残している(「道中記」)
 「暑さがしのぎにくいほどで、松並に風鈴涼しく吹いて聞こえてくる、『松風を琴のしらべに聞なして 心なぐさむ旅の道野邊』」。進んで野木では、「此辺は皆松並木で 景色がない、…それに松なみの間 皆小石を敷いてあるので、足が痛んだが、…歩を進め、八ッ半頃であろうか 古河の宿へ着いた」とあり、ずっと松並木が続いていたことがわかる。
 なお、野木宿内では松と杉が植えられていた。(「日光道中分間延絵図」東京国立博物館蔵)ようである。
 野木町教育委員会

○野木本陣
○野木脇本陣
○野木宿
○新野木
○本野木
○満願寺
○浄明寺


塩滑地蔵
雷電神社
野木神社
芭蕉句碑
野木宿本陣
野木宿問屋場
野木一里塚
野木宿脇本陣
十九夜
満願寺
妙福辨財天
浄明寺
松並
熊倉家
古河市
野木市
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