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【歩く地図でたどる日光街道】杉並木街道

地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 71.野口〜日光駅(説明

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日本橋から日光東照宮までの街道沿いで紹介したい宿泊施設や食事店がありましたらご連絡ください。

第二十次今市宿〜第二十一次鉢石宿  70.今市〜野口  71.野口〜日光駅  ⇒鉢石宿〜日光東照宮へ

野口から日光駅まで
石畳の杉並木を歩いていると、杉並木が途切れ日光並木街道物語案内板がある。右に行くと堂目喜堰、現在はゴルフ場や川で阻まれ行くことができないが、江の久保刑場跡への道だった。日光奉行所で死刑を言い渡された罪人は町中を引き回され、この道を通って刑場へいった。杉並木が終わり国道119号線と合流するが、左には日枝神社がある。さらに進むと日枝神社の常夜灯があるが、JRの線路が道をふさいでいるので行くことができない。常夜灯の先には弘法の霊水、JR日光線の奥には生岡神社、弘法御夢想乃湯跡がある。このあたりからまた杉並木が始まる。右に一般のお墓の奥に戊辰戦争隊士の墓、信号のところに生岡大日堂の道標があるがやはりJRの線路のため行くことができない。すぐ右に並木太郎があり、生岡神社バス停を過ぎ、左に道があるここから生岡神社に行くことができる。しばらく行くと左に公民館、そして銀杏杉、右に大砲止め杉の伐採痕左に明治天皇御小休所、尾立岩、三ツ又杉がある。少し行った右、東武鉄道の線路の奥に奥州古道の野仏がある。このあたりが七里の集落で少し行くと宝殿の交差点左へ行くとJR日光線のガードを潜り、高速道路日光宇都宮線の日光インターチェンジへ行く、国道119号線のバイパスとなっている。日光街道はそのまま直進すると、筋違橋があり橋の手前左下に、麻疹地蔵(はしかじぞう)がある。橋下ではしか。筋違い場所には国所を改める番所があり、ここまでが「堂者引き」(東照宮参詣者の客引き)が許された。右に道があり東武鉄道の線路を潜る道が奥州古道。道は左の杉並木の中へと進むが、入口左に異人席石がある。このあたりを宝殿地区という。すぐ車道に出て、車道を横断し、JR日光線の線路を潜ってすぐ右に上がると杉並木がある。東和町の信号の手前左に野仏がある。相生町の信号を右に入るとJR東日本最古の駅日光駅がある。少し行くと鉢石宿の木戸門があった。駅前信号を右に入ると東武鉄道日光駅。次の信号松原町を右に行くと霧降高原へ。

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今市宿から鉢石宿 野口(栃木県日光市)〜日光駅(栃木県日光市) 3253m 42分

日光並木街道の物語(野口地区)
 日光杉並木街道は通称、日光(鉢石〜大沢)・例幣使(今市〜文挾)・会津西(今市〜大桑)の3つの街道から成り、の寛永2年(1625)から慶安元年(1648)にかけて植栽され、現在では約13,300本が並木の総延長37kmにかけて残されており、正に「国の宝」として特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けています。
 この杉を植栽した松平正綱は17才で徳川家康に仕え、後に幕府の経理を預かる勘定頭(後の勘定奉行)になり、家康没後は、度々日光を訪れ、将軍の社参や祭典、または東照宮の警護や修理にも活躍し寛永2年(1625)多年の幕府に対する功労が認められ、2万2千石の大名に任ぜられました。
 徳川家康を崇敬した松平正綱が日光東照宮の参道である街道に杉を植えたのは、東照宮をはじめとする聖地日光への景観を整えるとともに、風雨や日照などの自然環境から旅人を保護するために行ったものと言われております。
 杉並木を歩きながら、往事の旅人の事などを考えてみるのも楽しいことでしょう。
 なお、この道は昭和61年8月10日“日本の道100選”(建設省道の日実行委員会)に選ばれるとともに、昭和62年度からはリフレッシュマイロードモデル事業として現道を保存しながら、親しみやすいアメニティーの高い道づくりを目指して整備・修復事業を実施して来たものであります。 平成5年3月 栃木県

日光杉並木街道
370年の歴史を見つめる杉並木
 日光といえば杉並木とすぐさま言われるほど、日光街道の杉並木は有名です。街道筋をずっと歩いていくと、文字通り、道の両側に天までそびえる緑のカーテンがあるような気がします。
 日光杉並木は、日光・例幣使・会津西街道の3つの街道あわせて全長37kmの両側にそびえ立ち、その杉並木数は13,000本弱といわれています。
 この杉並木を作りあげたのは、徳川家康の忠臣で松平正綱で、20年余りの年月をかけて20万本余りの杉を植え、家康の33回忌にあたる慶安元(1648)年に日光東照宮に寄進しました。
 植え始められてから約370年、樹高30mにもなった杉の木は、日光街道の来し方の様々な出来事を見つめつつ、将来へと受け継がれていくことでしょう。
 現在、日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けています。
 また、平成4(1992)年には、ギネスブックは世界一長い並木として認定いたしました。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より

○日枝神社

生岡神社
 弘法大師が草履を結び、大日如来をおまつりしたといわれています。子供により演じられる、いわゆる「上野の強飯式」は、同社に古来より伝わる神事です。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より

○戊辰戦争隊士の墓

並木太郎 日光市七里
 並木の中で一番大きな杉であり周囲5.35m 樹高38m 材積33.5?である。その姿の美しい端正なことより並木太郎と呼ぶにふさわしい名木である。

銀杏杉 日光市七里
 杉の根元が銀杏の葉のように広がっており根張りの幅が8m余ある。この雄大な根張りがあれば樹木ばかりでなく大丈夫というところより別名「人生杉」とも呼ばれている。

○明治天皇御小休所(案内板あり)

尾立岩
 日光街道の西側に迫るような岩場の名。大昔、日光山の本宮権現が蛇の姿となって大谷川を渡ってこの岩の上に乗ったといわれます。尾を空中に立てた、それが名のいわれと伝えられています。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より

筋違橋の地蔵尊
 橋のたもとの小さなお堂には、お地蔵さまが祀られていて、はしかになったとき、この橋の下をくぐると治るといわれ、別名はしか地蔵ともいいます。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より

異人石
 明治の頃、杉並木を愛した一人の外人がいた。その外人は、この石を石屋に頼んで座りやすくしてもらい毎日ここで並木を鑑賞していたので異人石と呼ばれている。

堂目喜堰
日枝神社
常夜灯
弘法,霊水
生岡神社
戊辰戦争
大日堂
ちちぶ桜
並木太郎
銀杏杉
大砲止め杉
明治天皇御小休所
奥州古道
野仏
三ツ又杉
七里
筋違橋
麻疹地蔵
異人石
宝殿
杉並木
木戸門
志度淵川
江の久保刑場
日光市
栃木県

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