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地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 48.自治医大〜倉井(説明

クラブツーリズム
地図(A4サイズ)を印刷するには地図をクリックするか k-48.pdf  をクリックしてください。
日本橋から日光東照宮までの街道沿いで紹介したい宿泊施設や食事店がありましたら連絡下さい。

第十四次小金井宿〜第十五次石橋宿  47.小金井〜自治医大  48.自治医大〜倉井  49.倉井〜下石橋北  50.下石橋北〜石橋

自治医大から倉井まで
パーラークィーンエリザベスの先に手打ちうどん田舎やがあり、ここは地元で人気のお店らしい。とても混んでいた。それでは旧日光街道の細い道を一直線に進むことになる。左右に田園風景が広がり車もほとんど通らないのどかな道。最初の十字路を左に行くと稲荷神社・三嶋神社がある。さらに十字路あたりに笹原新田立場なりとあった場所。しばらく行くと民家がほとんどなくなり、このあたりが「小金井のあたりより常陸の筑波山のみゆる。頂ニあり。高山なり、形は富士に似たり…」道はまっすぐのびている。しかし、冬風があると土埃が舞いそうだから、時期を選んで歩いた方がいい。


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小金井宿から石橋宿 自治医大(栃木県下野市)〜倉井(栃木県下野市) 2088m 27分

龍興寺

天狗山雷電神社
 創建年は不詳ですが、通称雷電様と呼ばれています。言い伝えによると、災害に苦しんでいた村人たちを雷神が天狗の姿になって助けたことから、お祀りするようになったといいます。 下野市役所ホームページより

薬師寺八幡宮
 貞観17年(875)に創建されたと伝えられます。現在の社殿は寛文2年(1662)佐竹右京太夫によって再建されたもので、栃木県指定有形文化財に指定されています。 下野市役所ホームページより

安国寺
 平安時代後期に下野薬師寺は衰退し、室町時代に足利尊氏の発願により、後醍醐天皇以下、南北朝の戦いの戦没者を弔うため、日本各地に設けられた寺院と言われています。
 隣接して、下野薬師寺歴史館があります。発掘調査で見つかった出土遺物、文献史料、復元模型などの展示のほか、映像などによって下野薬師寺の歴史をわかりやすく解説しています。 下野市役所ホームページより

六角堂
 この建物は江戸時代後期のものです。ここに戒壇があったという伝説があります。近年の調査で堂の下層に古代の基壇建物が確認されましたが、戒壇堂かどうかは判りません。 下野市役所ホームページより

○八坂神社

下野薬師寺跡
 7世紀後半の天武天皇の頃に創設されたと考えられている国指定史跡です。8世紀中ごろには、僧の資格を得るための場である戒壇が設置され、奈良の東大寺、九州の筑紫観世音とともに、日本三戒壇院のひとつに数えられ、東国随一の寺として隆盛を極めました。
 隣接して、下野薬師寺歴史館があります。発掘調査で見つかった出土遺物、文献史料、復元模型などの展示のほか、映像などによって下野薬師寺の歴史をわかりやすく解説しています。 下野市役所ホームページより

天下の三戒壇・下野薬師寺跡
 7世紀末に創建された下野薬師寺は、東大寺(奈良県)、筑紫観世音(福岡県)と共に「天下の三戒壇」と呼ばれた寺で、官僧(正式の僧)となるための修行の場でした。その遺蹟は昭和41(1966)年から発掘調査が行われ、現在「ふるさと歴史の広場」として整備されています。この史跡公園には寺の南西部にあたる堀跡と回廊跡が復元され、北西角には当時の技術を忠実に再現した建物も復元されています。公園に隣接した「下野薬師寺歴史館」(入館は無料)では下野薬師寺の歴史や、一般には馴染みにくい戒壇についてもわかりやすく解説されています。JR自治医大駅下車、県道笠原二宮線を東へ約2.5km、徒歩約20分(タクシーで約10分)。
 「日光街道ルネッサンス21」より

薬師寺回廊
 発掘調査の成果により、平成12年度に回廊の北西隅部の復元工事を行いました。 回廊は1辺約100mの規模で、金堂と南門を結んでいました。東面回廊は現在の県道の下になっています。
 隣接して、下野薬師寺歴史館があります。発掘調査で見つかった出土遺物、文献史料、復元模型などの展示のほか、映像などによって下野薬師寺の歴史をわかりやすく解説しています。
 下野市役所ホームページより

下野薬師寺歴史館
 下野薬師寺歴史館は、下野薬師寺跡の南西に隣接して建設されたガイダンス施設です。
 館内では、発掘調査によって見つかった瓦をはじめとする出土遺物、寺に関わる文献史料、復元模型などの展示資料のほか、映像などによって寺の歴史をわかりやすく解説しています。
 下野市役所ホームページより

稲荷神社
 この地は昔から稲荷殿林と呼ばれ、松林の中に神秘的な小高い台地あり、ここに笹原新田を切り開いた人が慈眼寺に伺いをたてて神社をまつりました。神社の創建は、万治2年(1657)といわれています。江戸時代後期の安永年間には「寺久保稲荷大明神」とも呼ばれていました。
 これらは、笹原新田の稲葉之助の嫡男勘兵衛・嫡子伊左衛門が京都伏見稲荷より社号を頂戴たものと言われています。 環境省・栃木県

三嶋神社
 この神社を地元では「弁天様」と呼んでいます。江戸時代前期の承応3年(1652)に創建されたものと言われています。その12年後の寛文4年(1646)に村方に下附されたといい、もとは関根井宿西側の田んぼの中にあったと言われています。
 明治5年になり氏神は、一村一社に限るものとするとの布告があり、この時関根井と小金井が合併、神社も合併となるところであったが、村民が三嶋神社を関根井で守りたいと栃木県に懇願したので従来どおり、この地に存続されたと言うことです。  環境庁・栃木県

旧日光街道跡
 本来の日光街道の跡がまっすぐ延びる農道として残っています。このあたりは晴れた日には、北西方向に日光山を遠望でき、江戸時代の風景を連想させます。 「日光街道ルネッサンス21」より

笹原
医大前
佐竹領
雷電神社
八幡宮
栃木県
下野市
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