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地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 42.神鳥谷〜小山(説明

仲間と出会う、感動と出会うクラブツーリズムの旅/群馬・栃木発バスツアー

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日本橋から日光東照宮までの街道沿いで紹介したい宿泊施設や食事店がありましたらご連絡下さい。

第十一次間々田宿〜第十二次小山宿 40.間々田〜安房神社  41.安房神社〜神鳥谷  42.神鳥谷〜小山  ⇒小山宿〜新田宿へ

神鳥谷から小山宿まで
神鳥谷東で県道50号線を過ぎるといかにも中心部に入ってきた感じがする。、パレスホテルの所に信号がある。このあたりが小山宿の入口で土塁や木戸があった。信号の左に天満宮。2つめの信号手前にかまやふとん店があり、その前あたりに小山の一里塚があった。信号を左に行くと持宝寺がある。次の信号を左に入っていくと、須賀神社、妙建寺、愛宕神社、市役所の側に小山評定跡碑、小山御殿跡などがある。持宝寺の信号から再び日光街道を歩いて行くと、二つ目の信号左が高札場、右が明治天皇行在所跡碑、信号を渡って左が脇本陣跡、信号を右に行くと浄光寺がある。さらに山下呉服店は控え本陣、先の常陽銀行のところが問屋場でその前が本陣跡。次の信号を右に入ると、200mほどで小山駅に行ける。日光街道をさらに進むと右に光照寺がありさらに北へ進む。 









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間々田宿から小山宿 神鳥谷(栃木県小山市)〜小山宿(栃木県小山市) 1841m 22分

小山宿(おやまじゅく)
 江戸時代に日光街道(日光道中)に設けられた下野国の宿場。現在は栃木県小山市の中心部に相当する。日光街道の江戸・日本橋から数えて12番目の宿場である。
 元和3年(1617年)以降に宿駅に指定されたと考えられている。宿駅の管理は、元和5年(1619年)以降は古河藩、延宝3年(1675年)に幕府、天和2年(1682年)に古河藩と変遷したのち、貞享2年(1685年)以降は幕府、安永3年(1774年)以降は宇都宮藩が担った。小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光街道(日光道中)、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所であった。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、小山宿の距離1人23町、宿高1233.238、町並12町13間、人数1392人(男636人、女756人)、家数423軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠74軒(大11,中27,小36)、問屋場1軒、宿建人馬25人25疋であった。
 当時の日光街道は現在の県道265号線に相当し、街道沿いでは南から下町・中町・上町、他にも横町・新町から構成された。本陣・脇本陣は中町(現在の中央町)にあった。また宿内には、将軍家による日光社参のため、小山御殿が設けられていた。Wikipediaより

宿高(しゅくだか)とは 農作物などを米の取れ高に換算して、村や町宿場の規模を表示したものです。単位は石・斗・升・合・勺(しゃく)で、1石は10斗、、1斗は10升、1升は10合となります。1合は10勺となります。1升は約1.8?(一升瓶1本分)で、1石は一升瓶100本分の量となります。なお、1俵はおおよそ3斗5升のお米を入れました。

町(ちょう)と間(けん)とは 町と間は、長さを測るときの単位のことです。1町は約109.09mとなります。1町は60間です。1間は6尺(しゃく)で、約1.82mになります。なお、町・間・尺は時代によっても少しずつ長さが異なりました。

本陣・脇本陣・旅籠とは いずれも旅館です。本陣・脇本陣は、参勤交代の大名や勅使・公卿といった貴人が宿泊しました。本陣が利用できないときには、かわりに脇本陣が利用されました。一般旅人が宿泊する旅籠があります。旅籠は、食事つきの宿泊施設です。

問屋場(とんやば)とは 問屋(といや・とんや)ともいい、次の宿場まで乗り継ぐ人足や馬を用意したり、公用の出張者の旅館手配など、宿場業務を取り扱う施設のことをいいます。

宿建人馬(しゅくだてじんば)とは 参勤大名や役人などが通行するときに、宿場で用意する人足(にんそく)
と馬の最大数のことです。足りない分は助郷(すけごう)として、周辺の村々から調達しました。本来50人50疋を割り当てられていましたが、文化5年(1808)に35人35疋に変更されました。

小山御殿
 将軍家の日光社参のために設けられた休憩所。『日光御社参古河日記』によれば、元和8年(1622年)に徳川秀忠が日光社参を行った際に、関ヶ原の戦いの小山評定を吉例として設けられた。土塁と堀に囲まれた南北100m・東西64mの敷地に15か所の御番所があり、非常に警固が厳重であった。寛文3年(1663年)以降は日光社参が中断され、天和2年(1682年)、古河藩の財政難のため解体された。場所は現在の小山市役所付近に相当するが、遺構は残されていない。Wikipediaより

脇本陣跡
 現在の中央町。「明治天皇行在所」の石碑がある。Wikipediaより

助郷の村々
 各宿場町では、参勤交代や公用の人や物を運ぶために人馬を常備する必要があったが、これを助けるために近隣の村々が定助郷に指定された。寛永3年(1750年)の小山宿助郷村25カ村は以下の通り。中久喜・犬塚・泉崎・土塔・横倉・雨ケ谷・田間・塚崎・神鳥谷・稲葉郷・渋井・立木・荒川・上石塚・下石塚・今里・上初田・下初田・萩島・石ノ上・上国府塚・下国府塚・萩島・石塚・小田林。Wikipediaより

小山市指定文化財(有形文化財・建造物)
 須賀神社鳥居
 須賀神社は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)・祇園社(ぎおんしゃ)とも称され、祇園城主小山氏や小山町衆たちから、広く崇敬を(すうけい)集めてきた。
 承応(じょうおう)2年(1653)に小山町の旦那衆によって建立されたこの鳥居には、天下泰平・国土安全・荘内豊饒(しょうないほうじょう)・諸人快楽を祈願した銘文が刻まれている。
 鳥居は、神社の参道に建てられて神域を示すもので、元来は木造であるが、平安時代頃からは石造も現れる。
 この鳥居は、島木(しまぎ)をもつ明神鳥居形式で、小山市に現存する最古の石造鳥居であり、規模も比較的大きい。
 県内では指定文化財となっている日光東照宮の四基の鳥居に次ぐ古さを誇る、近世前期の貴重な鳥居である。当初は参道に建立されたが、道路拡張のため現在地に移された。
 柱間3.34m、中心高4.10m 指定年月日 平成12年12月20日 所在地 小山市宮本町1丁目
 所有(管理)者 須賀神社 小山市教育委員会

御神木
 この御神木は樅(もみ)、樹齢は800年。もとからこの処に高く聳えたっていたが、社殿の方向に傾いたため、大正12年に5m位の高さに切り落とし更に昭和11年に現在の姿に切り覆屋を建てた。

七ツ石
寝ている狛犬
妙建寺

愛宕神社のケヤキ(天然記念物)
 ケヤキはニレ科の落葉高木で、全国各地に分布している。ケヤキの名はケヤケキ木、すなわち目立つ○意味を持つという。それほどの大木となる。
 このケヤキは、小山義政が康?元年(1379)、領内の五穀豊饒と領民の家内安全を祈願して愛宕神社を勧請(かんじょう)したとき、御神木として植えたとの言い伝えがあり、樹齢600年余りと推定される。希にみる古木である。
 現在の樹形は大正2年(1913)の大火により樹冠(じゅかん)が類焼、これが原因で樹幹上部を欠いている。
 樹高24m 目通り約7m 枝張り東西約25m 南北21m 指定年月日 昭和47年3月18日 
 所在地小山市宮本町1丁目1番7号 所有者 愛宕神社 小山市教育委員会
 
小山評定跡由来
 慶長5年(1600)7月24日徳川家康は、会津上杉景勝を討つべく小山に到着しました。
 このとき、石田三成が家康打倒の兵を挙げたことを知り、翌25日この地において軍議が開かれました。これが「小山評定」といわれるものです。
 軍議は、3間4方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本多忠勝、本多正信、井伊直政や福島政則、山内一豊、黒田長政、浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。福島政則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どおりに決まりました。
 同年9月15日、関ヶ原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利に結びついた歴史上重要な所です。

小山評定跡
 慶長5年(1600)、会津の上杉征伐に向かう徳川家康は、小山で石田三成らの挙兵を知り、諸将を集め、軍議を開きます。この軍議を小山評定といい、関ヶ原の戦いで家康率いる東軍が勝利し、徳川300年を決定づけた要因とされています。 小山市教育委員会発行 「ふるさと小山の文化財」より

常光寺
明治天皇行在所
小山宿本陣
小山宿問屋場

小山宿脇本陣跡
 近世、市内には日光街道が通り、間々田・小山・新田(羽川)の宿場町が形成され、大いに栄えました。また、壬生通りや結城道の分岐点としての役割も果たし、小山は交通の要衝として知られました。小山宿は天保14年(1843)の記録によると、人口1392人、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠は74軒ありました。 小山市教育委員会パンフレット「ふるさと小山の文化財」より

光照寺

天満宮
小山一里塚
持宝寺
千手観音

明治天皇行在所
光照寺
小山御殿
元須賀神社
小山宿高札場
持宝寺
徳川吉宗
庚申塔
天神町
宮本町
中央町
城山町
栃木県
小山市

【お食事処】


散歩人 平 田 輝 明さんのホームページから
〒323−0820 栃木県小山市西城南7−8−11 電話 0285−27−6623 携帯 090−8851−4527
メール rekisisanpo@mail.goo.ne.jp
■小山宿散歩1日コース(6時間)
市役所〜小山御殿跡〜史跡小山評定跡の碑〜旧第一小学校の塀〜愛宕神社(宮本町)〜妙建寺〜須賀神社〜現声寺〜私文書館〜竜ヶ岡城跡(長福寺城跡)〜八幡宮(旧神鳥谷)〜天満宮・青蓮寺跡〜小山宿江戸口跡〜青蓮寺堤跡・神鳥谷郭跡〜旧関宿道〜旧小野塚家住宅〜旧関宿道入口〜小山宿一里塚〜持宝寺〜旧三峰神社参道入口〜須賀神社参道入口〜徳川家治・家慶小休所跡〜佐野・栃木道入口・小山宿高札場跡〜宮水井戸〜常光寺〜小山宿問屋場跡〜小山宿脇本陣跡〜小山宿本陣跡〜旧八百忠跡(現色彩館)〜小山御殿入口跡〜光照寺〜元須賀神社〜旧小山宿日光口〜旧結城道入口・稲葉郷高札場跡〜伝徳川家康御陣所跡〜宝性院跡〜愛宕神社(本郷町)〜徳川吉宗筑波山確認跡〜興法寺〜宝性院〜天翁院〜祇園城跡・小山城跡・城山公園〜観晃橋〜小山河岸跡・思川渡し場跡〜清水坂・庚申塔(道標)〜市役所
■小山散歩半日Aコース(4時間)
小山市役所〜小山御殿跡〜史跡小山評定跡の碑〜旧第一小学校の塀〜愛宕神社(宮本町)〜妙建寺〜須賀神社〜現声寺〜小山市文書館〜龍ヶ岡城跡(仮称長福寺城跡)〜八幡宮(旧神鳥谷)〜天満宮・青蓮寺跡〜小山宿江戸口跡〜青蓮寺堤跡・市指定神鳥谷郭跡〜旧関宿道〜旧小野塚家住宅〜旧関宿道入口〜小山宿一里塚〜持宝寺〜旧三峰神社参道入口〜須賀神社参道入口〜徳川家治・家慶小休所跡〜佐野・栃木道入口・小山宿高札場跡〜宮水井戸〜常光寺〜小山宿問屋場跡〜小山宿脇本陣跡〜小山宿本陣跡〜旧八百忠跡(現色彩館)〜市役所
■小山宿散歩Bコース(3時間)
市役所〜小山御殿跡〜小山御殿入口〜光照寺〜元須賀神社〜旧小山宿日光口〜旧結城道入口・稲葉郷高札場跡〜伝徳川家康御陣所跡〜宝性院跡〜愛宕神社(本郷町)〜徳川吉宗筑波山確認跡〜興法寺〜宝性院〜天翁院〜祇園城・小山城・城山公園〜観晃橋〜小山河岸跡・思川渡し場跡〜清水坂・庚申塔(道標)〜市役所
■小山評定跡めぐりコース(3時間)
小山市役所〜史跡小山評定跡の碑〜市役所南側旧階段跡〜須賀神社〜旧神鳥谷〜宿西後方杉並木の林・馬場跡〜一門原跡〜伝徳川家康御陣所跡・宇御茶屋前〜小山城跡(祇園城跡)〜史跡小山評定跡の碑〜小山市役所

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