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地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 54.雀宮〜宮ノ内(説明)

仲間と出会う、感動と出会うクラブツーリズムの旅/東京23区発バスツアー
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日本橋から日光東照宮までの街道沿いで紹介したい宿泊施設や食事店がありましたらご連絡ください。
第十六次雀宮宿〜第十七次宇都宮宿 54.雀宮〜宮ノ内  55.宮ノ内〜台新田  56.台新田〜西原  57.西原〜宇都宮(下) 

雀宮から宮ノ内まで
雀宮一里塚を過ぎ、安塚街道入口の信号、左の道が安塚街道。信号の先左に正光寺。左に黒川食品、左に小林サイクル、その先左に雀宮本陣跡の標柱があるが、現在は空き地となっている。右に小栗畳店、その先に古民家、明治天皇巡幸の際、小休所とした芦谷家の雀宮仮本陣。その先駅前信号を右に行くと4分でJR宇都宮線雀宮駅。この信号から約3分ほどで左に雀宮神社がある。ここを過ぎると国道4号線は少し右にカーブしているが、旧日光街道は直進していたが、今は消滅している。その先にとりでん、和風レストランまるまつ、マクドナルドなどがある。さらに進み、ガスト、セブンイレブンを過ぎ、宮の内信号のある交差点が国道121号線。俗に宇都宮観じよう道路である。左へ行くと塚山古墳、西山古墳、南古墳、日光・東北道、東武鉄道西川田駅、とちの木ファミリーランドへ行くことができる。





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雀宮宿から宇都宮宿 雀宮(栃木県宇都宮市)〜宮の内(栃木県宇都宮市) 1820m 22分

 雀宮宿(すずめのみやじゅく)は、日光街道および奥州街道の16番目の宿駅(宿場町)である。現在の栃木県宇都宮市雀宮。
雀宮宿は江戸時代に下野国河内郡にあった宿場町である。雀宮宿は、もともと下横田村の台地部にある村落であったことから台横田村と呼ばれ、奥州古道の時代にはその中心地は雀宮宿の東方にあったが、江戸時代に日光街道が整備されたことにより沿道に人家が集まり宿を成し、近所にあった雀宮神社に因んで雀宮村と改称し、後に江戸幕府によって宿駅とされたものである。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、雀宮宿は距離1里23町、宿高574.655、町並み5町20間、人数268人(男138人、女130人)、家数72軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒、問屋場2軒、宿建人馬25人25疋であった。
 現在も雀宮には旧日光街道である国道4号が通るほか、その近傍を鉄道路線JR宇都宮線(東北本線)が通り同線雀宮駅周辺を中心に宅地化が進んでいるものの、往古の静かな宿並も残されている。Wikipediaより

宿高(しゅくだか)とは 農作物などを米の取れ高に換算して、村や町宿場の規模を表示したものです。単位は石・斗・升・合・勺(しゃく)で、1石は10斗、、1斗は10升、1升は10合となります。1合は10勺となります。1升は約1.8?(一升瓶1本分)で、1石は一升瓶100本分の量となります。なお、1俵はおおよそ3斗5升のお米を入れました。

町(ちょう)と間(けん)とは 町と間は、長さを測るときの単位のことです。1町は約109.09mとなります。1町は60間です。1間は6尺(しゃく)で、約1.82mになります。なお、町・間・尺は時代によっても少しずつ長さが異なりました。

本陣・脇本陣・旅籠とは いずれも旅館です。本陣・脇本陣は、参勤交代の大名や勅使・公卿といった貴人が宿泊しました。本陣が利用できないときには、かわりに脇本陣が利用されました。一般旅人が宿泊する旅籠があります。旅籠は、食事つきの宿泊施設です。

問屋場(とんやば)とは 問屋(といや・とんや)ともいい、次の宿場まで乗り継ぐ人足や馬を用意したり、公用の出張者の旅館手配など、宿場業務を取り扱う施設のことをいいます。

宿建人馬(しゅくだてじんば)とは 参勤大名や役人などが通行するときに、宿場で用意する人足(にんそく)
と馬の最大数のことです。足りない分は助郷(すけごう)として、周辺の村々から調達しました。本来50人50疋を割り当てられていましたが、文化5年(1808)に35人35疋に変更されました。

本陣小倉半右衛門、脇本陣
太子堂、正光寺、金乗院、大日堂、観音堂、修験常覚院、馬頭観音
天王社、稲荷社、

雀宮神社(すずめのみやじんじゃ)
 栃木県宇都宮市にある神社。旧社格は郷社。この神社の創建年代などについては不詳であるが、この神社の周辺の地名の由来ともなった神社であり、日光街道・日光東往還の雀宮宿が置かれた。Wikipediaより

正光寺

雀宮本陣跡
 仮本陣の芦谷家の近くに本陣・小倉家がありました。その敷地は間口15間(約27m)、奥行き15間あり、建坪は115坪余(約380u)あったといわれています。現在、敷地には標柱が建てられています。 「日光街道ルネッサンス21」より 

仮本陣跡
 雀宮入口交差点にある芦谷家は、江戸時代、仮本陣でした。その門構えと黒い板塀に、往事の面影が残っています。 「日光街道ルネッサンス21」より

雀宮神社
 古くは雀宮明神といい、多くの言い伝えが残っている神社です。藤原実方とその妻・綾女がまつられ、徳川将軍の日光社参ではこの神社に参詣するのが例になっていたと伝えられています。「日光街道ルネッサンス21」より

雀宮神社の伝説
 宿場の名ともなった雀宮神社ですが、その由来には多くの伝説が残っています。社殿では、長徳元(995)年、陸奥守に任ぜられた藤原実方が赴任の途中でここで休息し陸奥に向かいました。妻の綾女も、その実方を追いますが、この地に来たところで病死してしまいます。その遺言で持っていた宝珠を埋め、産土神としてまつったのが神社の始まりです。その後、実方も赴任地の陸奥で死にますが、その霊魂が雀となりこの地に飛来したので、綾女と実方の2人を合祀し雀宮神社と称したということです。
 ほかにも、雀が村人を救ったという伝説や、下野薬師寺に流された道鏡が納涼のためつくった事を「すゞみの宮」としたのが転化したという説など、多くの話が伝わっています。「日光街道ルネッサンス21」より

安塚街道
旧日光街道
雀宮宿脇本陣
雀宮宿仮本陣
納豆内
雀宮宿木戸
雀宮宿土塁
旅籠屋
茶屋
雀の宮
宮の内
塚山古墳
宇都宮
栃木県
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